■遺産分割でトラブルを回避するために
「亡くなった父親が公正証書遺言を残していたが、自分が相続できる金額がほかの相続人と比べて少なくて納得がいかない」といったトラブルが相続ではよく起こります。
そのような場合に公正証書遺言の内容をまったく無視して、相続人だけで遺産分割の配分を変更することは可能なのでしょうか。
■相続の基本的なルール
1.公正証書遺言がない場合
亡くなった被相続人に財産が残されていたにもかかわらず公正証書遺言がなかった場合は、相続人同士で話し合いを行って誰がどの財産を相続するかを決めます。
これを「遺産分割協議」と言います。
相続権のある人すべてがこの遺産分割協議に同意すればそこで終了となりますが、もしも相続人の中に協議の内容に納得いかないという人がいれば、家庭裁判所に遺産分割の調停の申し立てを行って相続の割合を決定してもらうのです。
民法では相続人の範囲(法定相続人)とその相続割合(法定相続分)が規定されていて、裁判所の決定は基本的にこの規定に定められた分配比率に則って行われます。
2.公正証書遺言がある場合
自筆の遺言書と違って公正証書遺言は専門家によって作成されるので、基本的に無効となることはありません。
公正証書遺言があれば、相続は基本的に遺言書に書かれている内容に従って行われることになります。
生前に書き残した遺言書が死後に至っても法的に効力を持ち続けるというは不思議な気もしますが、公正証書遺言は被相続人が死後に財産をどのように分配するかについての最終意思を示したものであり、非常に強い効力を持ちます。
■公正証書遺言の内容を無視することは可能なのか?
1.基本的には内容を無視することはできない
相続のルールで示したように、相続において遺言の効力は絶大です。
相続は被相続人の権利であり、自分の財産を誰にどのような割合で分配するかは被相続人の意思によって自由に決めることができます。
ですから、たとえ相続人がその内容に納得がいかなかったとしても、基本的には公正証書遺言の内容を無視することはできません。
2.遺留分は請求することができる
公正証書遺言には大きな効力があり、血のつながりのない人物や法人などにも財産を譲ることが可能です。
そのため、「財産のすべてを愛人とその子どもたちに譲る」という公正証書遺言や「全財産を株式会社◯◯へ寄付する」という公正証書遺言を残すこともできるわけです。
しかし、実際にこのような内容の遺言が実行されてしまうと、残された法定相続人の権利が大きく侵害されてしまうことになります。
そこで法律では相続財産の一定部分については必ず法定相続人の手に入るように定めています。
これが「遺留分」です。
遺留分を受け取ることができるのは法定相続人のうち兄弟姉妹以外の人たちで、相続できる財産の上限は全相続財産の2分の1までです。
法律で定められた法定相続よりも貰える財産は少なくなります。
なお、遺留分は遺留分減殺請求権を主張することではじめて認められる権利です。
何もしなくても貰えるわけではないので注意が必要です。
■公正証書遺言の内容を無視した遺産分割協議が可能なケース
1.公正証書遺言の内容についてすべての相続人が反対している場合
基本的には相続人は被相続人の意思である公正証書遺言の内容に従わなければなりません。
しかし、公正証書遺言の内容にすべての相続人が反対している場合は話が別です。
たとえば「財産のすべてを長女に譲る」という内容の公正証書遺言が残されていた場合、長女以外の相続人は「なぜ自分たちは財産を受け取ることができないんだ」と納得がいかないでしょう。
また、長女もすべての財産を受け取ってしまうと今後家族の関係が悪くなってしまうかもしれないので、受け取る財産を変更したいと考えているとします。
このように相続人全員が公正証書遺言の見直しに同意しているのであれば、公正証書遺言を無視して遺産分割協議を行うことは可能です。
相続人同士で得ているコンセンサスと公正証書遺言の内容に齟齬がある場合も同様です。
相続人が長男と次男の2人だけで、本人たちの間では次男が店を継ぐことが決まっていたとします。
しかし、公正証書遺言には「店の権利は長男に、それ以外の財産は次男に譲る」という内容が書かれていたとしましょう。
この場合、相続人の2人は共に公正証書遺言の内容に否定的であり、改めて遺産分割協議を行うことに同意しているので、公正証書遺言の内容を無視することができるということになります。
2.相続人の中に受遺者がいる場合は受遺者を含めたすべての相続人の同意がある場合
先程は相続人のすべてが法定相続人であることが前提でしたが、既に説明したように公正証書遺言への記載があれば血のつながりのまったくない個人や法人に対しても財産を譲ることが可能です。
このように法定相続人以外で相続権のある人を「受遺者」と言います。
たとえば「私の死後、すべての財産を親友であるA氏に譲る」と公正証書遺言に書かれていたとしましょう。
この場合、A氏は被相続人と血のつながりがないので受遺者ということになります。
受遺者が存在している場合、上記のように法定相続人のすべてがその内容に反対していたとしても公正証書遺言の内容を無視して遺産分割協議を優先させることはできません。
法定相続人全員が「遺産分割協議で決まった内容を優先させる」と合意していることに加えて、受遺者が公正証書遺言で譲り受けることが明記されている財産について放棄することに納得してはじめて、公正証書遺言の内容を無視することができるということです。
3.遺言執行者の同意がある場合
公正証書遺言の中に「B氏を遺言執行者に指名します」または「私の死後にC氏に遺言執行者の選任をお願いします」といったことが書かれている場合は、遺言執行者が相続に関わるすべての手続きを行う権限を有することになります。
相続を行う際には相続税の納付額を明らかにするためにすべての相続財産をピックアップして評価をし、財産目録を作成しなければなりません。
しかし、被相続人にかなりの財産がある場合や相続人に法律の知識がない場合は、作業に多くの時間と手間を割くことになってしまいます。
また、不動産を相続した場合には所有者を変更するための登記が必要になりますが、その手続きも煩雑で面倒です。
このような時に相続手続きに詳しい人に遺言執行者になってもらえば、相続人の負担を大きく軽減できるというメリットがあります。
遺言執行者は基本的に誰がなっても構わないのですが、被相続人が生前に親しくしていた友人や知人、法律の専門家である弁護士や司法書士、銀行員などが指名されるのが一般的です。
なお、遺言者に指名された人物がその任を拒否した場合は遺言執行者がいなくなってしまうので、家庭裁判所に新たな遺言執行者の申し立てを行うことになります。
民法では遺言執行者の行為を相続人は一切妨害することができないと定めています。
そのため、仮に相続人や受遺者の全員が公正証書遺言の内容を無視して遺産分割協議による相続を希望したとしても、遺言執行者の同意がなければ無効です。
遺言執行者がいる場合は相続人・受遺者・遺言執行者の全員の同意が必要となることを覚えておきましょう。
4.公正証書遺言の中に遺産分割禁止が明示されていない場合
民法の908条では遺言によって遺産分割を禁止できることが定められています。
公正証書遺言に遺産分割の禁止が明示されている場合、5年間はいかなる理由があっても公正証書遺言に書かれている内容と異なる方法で遺産分割を行うことができなくなります。
たとえ相続人や受遺者の全員が遺産分割禁止に反対することで同意していたとしても同様です。
公正証書遺言は「財産を誰にどのような割合で分配するのか」について意思表示をするために作成するものであるのに、その中で遺産分割を禁止するのはおかしな気もしますが、遺産分割禁止を明示することにはメリットがあります。
たとえば、相続人の中に孫が含まれていて、その孫がまだ未成年だったとしましょう。
法律では未成年者が相続人になる場合は代理人を立てなければならないと定めていて、通常は代理人は未成年者の親が法定代理人となります。
しかし、もしも親子の間で相続に関しての考え方に隔たりがあったらどうでしょうか。
法定代理人である親は子(被相続人から見て孫)の意見を無視して自分の有利なように話を持っていくことが可能になってしまいます。
遺産分割禁止が公正証書遺言に明示されていて、禁止される5年の間に孫が成人になれば単独で遺産分割協議に参加できることになるので、無用なトラブルを避けることができるわけです。
逆に、公正証書遺言の中に遺産分割禁止と明示されていなければ、相続人や受遺者全員の同意があることで公正証書遺言を無視した分割協議が可能であるということになります。